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不均衡感 男女の

January 18, 2018

9月10日にベルリンで書いたブログからとてもその内容に悩んでいた。

それから約四ヶ月ほどの月日が経っている。

もともとブログを頻繁に書くのは苦手だったのもあるけれど、次のブログを書くことになんだか気が引けていた。

 

僕こそがとてつもなく不寛容で、無自覚な強固な差別主義者なのではないか?という不安感。

 

しかしその後の10月3日、パリ公演からマドリッドへ移動するために飛行場へ向かう地下鉄で、家族共々携帯など貴重品を黒人の集団にすられた。

そこから2ヶ月ほど携帯なし生活を送っていた。これは経験として非常に良かった。これはまた別の話。

人生で初めてすられるという体験をしたこと。それを行うほんの一握りの人々が引き起こす、偏見の引き金を引きかねない現実に腹立たしさと幻滅と落胆とを感じた。

時間が経った今僕が思いを巡らせられるのは、彼らのその行動の裏側にあるものは、貧困と教育を受けられなかったことがあるかもしれないということ。

 

もちろん男女の社会的不均衡感も同じくそれに由来するものが少なからずあるのではないかとも思ってしまう。もちろん文化的、政策的理由もあるけれど。

 

そんな現実に対して、

じゃあ僕に何ができるのか。

問題があることを提起すること。

意見を述べること。

自身の意思で行動に移すこと。

色々と浮かんではくる。

 

全て心の中で思っているだけでは何も動かないし変わらない。

まだそんな素晴らしいテクノロジーは地球上の全人類が保有していないし、ほんの一握りの人々も実行化しきっていないだろう。

 

 

〈色々と話が広がってしまうけれども、不均衡感について〉

 

僕はドイツやフランスなどの西欧諸国から日本に帰国するとすごく感じる男女の不均衡感。

それにここ数年嫌気がさしている。

もちろんそれ以前は僕自身が無意識にその現実を助長する言動をとっていたと思う。

 

なので

男女の不均衡感については、家庭の中から、子育ての中から出来るだけそれが解消されるようにはしている。

そうするとよくわかってくるのは、思うように子育て期間中は自分の仕事なんてできないということ。

起きている時間のうちの4割ほどを仕事に集中できれば上出来ではないだろうか。

あとは子供の世話や家事に、まだ3歳の子供の就寝に出来るだけ合わせての生活。

即座の携帯でのメールチェックや返信はなかなかできたもんじゃない。

それが子供の休みの土日になると仕事に使える時間は極端に少なくなる。

無理を言ってパートナーに子供を任せるしかない。

これを日本の伝統的で現在進行中の男女の家庭内での関係に当てはめると、女性はほとんど仕事をできる時間はない。あるいは自分自身の時間を取ることは尚更に難しい。

その時間を取ろうすれば、子供を放置するか、祖父母やベビーシッターに長時間預けるしかない。しかしそれが可能な環境にどれほどの人がいるのだろうか、この日本の現状の中で。

ほとんどの男性は子供が生まれても仕事にかける時間をそれ以前とかえることはない。と僕は知り合いなどをみていて思う。

しかしそれでも僕の周りには幸いにも、そのことを理解して実行して、生活習慣を結婚と出産に合わせて変えている男性が多数いるので良いことだと思う。

 

そのようなことに取り組んでいると社会の歪みがよりくっきりと見えてくる。

社会的、家庭的に抑圧されている人はとても多いと。

男女機会均等を歌いながらも、しっかりとした不動の揺るぎない男性主義社会の日本。

それを自覚し、思考し、行動していければと思っている。

 

僕自身の過去の行動や言動には振り返ると、とてもこれらの問題を助長することも、それ以外にもよくないこともしてきていた。その事実は時間に刻まれている以上消せない。しかし心と言動を改めて生活し活動して行くことは可能だ。

もちろんもっともっとよくない人はいっぱいいるのだから、僕はましな方だ。と思うこともできるだろうが、それでは僕自身は変わることはないし、ましてや人に良い影響を与えることも叶わないだろう。

そんなことを考えながら舞台作品を作っていると、同じ作品でも、時間の経過とともに内包する考えや表現方法がかわってくる。

それは作品の創作段階・上演時・その後の再演時でとても違いが出てくる。なんならお客さんに伝えたいことさえかわってくる。

これは今の僕を伝えたいという個人の思いではなく、人間とはどのようなものなのか、現代の社会の中で生きるために人に伝えたいことなどがより強くうまれてくる。

芸術とはそのような思いと言葉を内包したものなのだろう。

そしてダンス作品は生身の身体を用いるのでその言葉はよりダンサーの体を通して語られ、その場で人々の記憶に残る以外は夢のようにきえていく。

 

私たち人類は芸術作品を全世界中で毎日のように創造し、上演・発表している。

これは人間の歴史が言葉で描き記されるようになる以前からおこなわれてきたことなのだろう。

 

これは人間に必要なもの!というよりも人間の日々の活動の一環なのではないだろうか。

なので逆説的には人間に不可欠な要素なのだろう。

衣食住ほどの重要度ではないかもしれないが、一年間顔を一度も洗わずにすごしたいのか?ということとどちらかというとちかいのかもしれない。

この比喩もしっくりとはきていないけれど。

 

不均衡感は地域の社会と住民の手に委ねられている。

それを統べるのは地方行政であり、その大元の国政だろう。

文化芸術は政策それ自体ではない。

人々の心と共にあり、示唆を与える存在なのだろう。

 

それを思うと、まだまだ僕は出来ることがたくさんある。

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